田植えの季節がやってきた!田植え体験記。
- 米ラボ
5月上旬頃より東北各地の稲作地帯では田植えが始まります。
この時期、普段人影の少ない水田のあちらこちらで田植え機や軽トラックが行きかい、活気が感じられます。
ここ宮城県の県北地域でも「令和3年産米」の田植えが始まりました。
場所は宮城県登米市。5月17日からスタートしたNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台の地でもあります。
田植えの時期にしては早い?
筆者が妻の実家の田植えの手伝いをするようになってかれこれ20数年になります。
5月上旬の宮城は日によってまだまだ寒さを感じる時期です。
桜は散り、菜の花は咲いていますが田植えはもう少し暖かくなってからと思わせないでもありません。実際、近年ではコメの白未熟粒などの高温障害を防ぐ為にも田植え時期を遅らせることが奨励されています。
しかしコメ農家にとって〝種まき〟と〝田植え〟は人手が必要な作業です。
田植えには「人が集まる」ことが重要なのです。
となると、集まりやすいゴーデンウィークに田植えをするのが必然となります。わが(妻の)実家には今年も3世代9人が集結しました。
9人も集まるなんて相当広い田んぼだなと思われるかもしれませんが作付面積は全部で2町2反歩。
この面積なら4、5人でも十分かもしれません。
この時期、水田を眺めていると大体1チーム3人から5人程度で田植えをしている方を多く見かけます。中には夫婦2人(それもご高齢!)で作業している方もいます。
2町2反歩で9人は多すぎるかもしれません。それは実家では田植えが一大イベントとも言える大切な行事になっているからです。ある意味、一族の一体感を醸成するための行事かもしれません。
休憩タイム この地域では一休みのことを「タバコ」といいます
特に実家のある集落は昔から県内でも田植えが早い地区でもありました。理由はわかりません。誰かが始めだすと「遅れてなるものか」と言わんばかりに集落全体で田植えが始まるような感じです。
農家にとって周囲の動きは非常に気になるものです。
稲作農家であることの恩恵
妻の実家が農家で有難かったと思えることの一つは何といっても「米に困らない」ことです。
今でも紙袋30㎏の玄米を貰うと「あぁ、これでしばらく生き延びられる」と心から思えるのです(誤解のないように言っときますが米を買うことくらいできるお給料はもらってます!)。
コメが日本人の主食ということもありますが、それ以上に米に神聖ともいえるパワーを感じるのです。ちょっと大袈裟かもしれませんが本当です。
特に息子3人を育てるわが身にとってこんなにありがたいことはありませんでした。
成長期の男子の馬並みの食欲を満たすことが出来たのも実家のコメでした。もしカミさんの実家が農家でなかったらと思うと今でもゾっとします。
さて、そんな田植え作業で私の仕事は何か?
田植機に乗るのなんてそんな大それたことはいたしません。田植機は実家の若旦那が乗ります。
私の主な仕事は苗運びです。ビニールハウスから苗を軽トラックに積み込み、水田に運びます。
1反歩あたり苗箱約22枚の苗を植え付けますので全部でおよそ500枚弱の苗箱を運びます。そして運んだ苗を今度は田植え機に供給していきます。
田植え機に供給しやすいように苗を並べておきます
最近では息子や甥っ子達も自分から進んで作業してくれるようになりました。
となると逆に私の仕事はどんどん減っていきます。
楽と言えば楽ですがこれでは参加している意味がありません。米を貰う資格が無くなります。
今では息子、甥っ子から仕事を奪うように積極的に作業に取り組んでいます(強調)!周りはそうは見てないようですが…。
苗箱洗浄中
田植えはいつもの年なら1日で終わります。しかし今年は悪天候のため2日間の作業になりました。
農作業は予定通りには進まないことが多くあります。天候は勿論のこと、農業機械の故障など様々なトラブルに見舞われることがあります。
以前、田植機が暗渠にはまって動けなくなったこともありました。
それでもなんとか作業が完了すると私でもささやかな達成感で満たされます。
稲作は奥が深い
私にとって稲作はまだまだ分からないことだらけです。
仕事柄、沢山の生産者の方々と会ってきましたが、それぞれに独自の知恵や工夫があります。
ある篤農家(この言葉自体今ではあまり聞かれませんが)の方が「今年で60回目の米作りだが、たった60回。まだまだだ」と言っていましたがそれだけ米作りは奥の深いものだと言うことでしょう。
ともかく私の農作業手伝いはここまで。収穫までの水管理や除草は若旦那がやり、刈り取りは委託しているので私が出る余地はありません。
私は1~2ヶ月に1回程度実家に行って生育を見守ります。
田植えが一段落しホッとする筆者(サボっているわけではない!)
今年も豊作を祈りましょう!
ライター:マルちゃん