一升瓶と木の棒で精米に挑戦!その2
- 米ラボ
<その1の続き
一人でザッザッザッも限界があるので、メンバーや社員の方々にお手伝いをお願いしました。ストップウォッチと作業時間記入用メモをセットにして次の方へ回すという人海戦術で挑みます!
ザッザッザッやりながら、ふと、昔の人はこんなこと本当にやったのか疑問に思ってきました。
昔といってもそもそも一升瓶がない時代にはできないので、一升瓶がいつからあるのかを、日本ガラスびん協会さんのウェブサイトで調べてみました。
すると、1924(大正13)年から量産が始まったそうです。割と最近ですねぇ。
それ以前の精米はどうなっていたかを調べてみましたら、臼と杵で行われていたそうです。農村には水車式の精米機が普通にあったようです。写真をトップ画面に貼りました。
それどころか、1896(明治29)年には株式会社サタケの創業者・佐竹利市さんが日本初の動力式精米機を発明・製造していたとのことです。
え!?
一升瓶が出回る前から、精米機で精米してたんじゃん!!
かといって、始めてしまったこの勝負を投げ出すわけにもいかない。
みなさんの協力により10分×6名で1時間が経過しました。
さぁそろそろ精米できているのではないでしょうか。
ん?
1時間後の拡大写真
んん?
な、何か変わってます??
ヌカの粉がなんとなく。。
ひたすらザッザッザッザッザッザッを1時間でこれです。
ここで、悟りました。長い戦いになることを。
玄米が精米の見た目になるまで続けます!!
ザッザッザッザッザッザッ
ザッザッザッザッザッザッ
2時間が経ちました。変化が見られないので、ここがキツイところですよ。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
4時間が経ちました。
自分が苦しい時は相手もまた苦しいのだ。まだいくぞ。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
ここで変化が出てきました!
明らかに米ぬかが溜まって、米の周りにまとわりついています!!
もう少しやってみます。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ
ふと気づくと6時間です。
…こんなところにしておいてやるか。
途中から棒の持ち手にタオルを巻いて、握りやすくしていました。
終わってみると、棒の先の方は表面が削れてツルツルしていました。
ヌカを落として、精米の重量を測定してみます。
1110.0gぴったりでした。
始める前が1200.0gでしたので、92.5%でした。目標の90%以下には届きませんでしたが、93%以下なら精米と言っても差し支えないようなので、ギリギリ精米できたと言えるのではないでしょうか。
1.2kgの玄米を精米するために、延べ人数:30名、総時間:6時間という労働力が必要でした。
瓶搗き精米は、戦時中の一時期に行われていただけだったようですが、その頃の大変さは肌身に染みてわかりました。
そこまでしても家族に美味しい白米を食べさせたいという気持ちが伝わるような、そんな貴重な体験でした。
次回、「一升瓶と木の棒で、酒米を大吟醸になるまで磨いてみた。」ご期待ください。
ライター:凱風快晴