お米と日本の歴史2〜稲作がもたらした繁忙期と農閑期
- 米ラボ
日本の人口増加
弥生時代以降における日本の人口増の一因は、稲作の広がりと言われています。弥生時代は、縄文時代に比べ約3倍もの人口増がありました。
東日本ではさほど増加せず、九州四国中国地方では10〜20倍の増加があったようです。これは、稲作が西日本の気候に適しており、摂取カロリーのうち、米から摂れるカロリーに東西において差があったためという説があります。
人々は田畑の近くに集落を作り、余剰米は高床式倉庫などに保存できたため暮らしは豊かになりました。同時に、持つ者と持たざる者が現れたこととなり、社会は複雑に形成されていきます。
お米が貨幣に
やがて古墳時代になると大和朝廷より国司が全国各地に派遣され、稲の耕作方法に加え灌漑設備の土木技術等を広め、国家権力を背景に水田稲作が広がりました。大阪府の狭山池など、この頃に造成されたため池が現在でも利用されている例が多数あります。同時期に全国の水田を区画整理し、班田収授法により国民に口分田を与えながら米での納税を義務付けるという制度を作りました。
つまり、米が貨幣となったのです。
国家に対する米での納税は明治時代で終わりましたが、小作人から地主への米での納税は、なんと太平洋戦争後まで続いていました。
また、中近世においては、農民は農地に住まわされ、主に米の生産に従事せざるを得なくなりました。稲作には人力を伴う労働力が必要ですので、稲作のスケジュールが生活のリズムそのものになり、農繁期と農閑期が区別されることになります。
当社においても、稲作のスケジュールは業務上重要です。米の品質管理のための測定器は、いざ使う際に正確に測定できなければなりません。そのため、夏のあいだに全国各地でお米の水分計の点検作業を行なっています。
夏期に全国各地で開催している、水分計の点検会と説明会の様子
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は著作「サピエンス全史」にて、「人類が小麦・稲・ジャガイモの栽培により『農業革命』を起こしたというのは錯覚であり、逆に作物が人類を家畜化した結果である」と論じています。つまり、米や麦自身の種の保存のために人類が利用されていると。
農繁期と農閑期が起こったことに関しても、そういう見方ができると思える一方、はたしてその家畜化は私たちを不幸にしたのか、幸せな何かをもたらしていないのか、美味しいお米を食べながら考えていきたいです。
ライター:K.Okawa
参考文献:『稲 品種改良の系譜』菅洋(2005, 法政大学出版局)/『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳(2016, 河出書房新社)